FR伝説のスーパーカー「BMW M1」をプレイバック

モータースポーツが世界的に認知されてから数十年経った現在でも、各メーカーはマシンスペックの向上に日夜研鑽を重ねています。BMWもドイツを代表する世界的なメーカーとして、多くの大会で覇を競いながら輝かしい戦績を残し続けています。もちろん、このためには長い年月に及ぶ研究結果と実践で積み上げてきた経験値によって成し遂げられており、その根幹の1つとしてあるスーパーカーの存在があるといっても過言ではありません。そのような歴史の転換点とも言える一台が「BMW M1」です。

ミッドシップへの挑戦

画像引用:https://www.bmw-m.com/

BMWと言えばエンジンへのこだわりが強いメーカーとして知られており、その歴史は乗用車だけでなく第一次・第二次世界大戦では航空機や軍用二輪車でも使われるほどでした。そのように自動車メーカーとしては世界的に見ても老舗と言えるBMWは、長い歴史においてエンジンを最大限に活かすためにFRという駆動方式を採用し続けてきました。FRとはフロントエンジン・リアドライブの略称で、いわゆる後輪駆動とも呼ばれるものです。乗用車の黎明期にはFRを採用するメーカーも多かったのですが、現在ではFFと呼ばれる前輪駆動のものが主流となっており、BMWを始めとした一部のセダンやスポーツカーで採用されるのみとなっています。

FFがラゲッジスペースや居住空間の確保を目的としたものならば、FRは乗用車における心地良い走行性能というものを主眼として採用されるケースが多くあります。一方で、同じ後輪駆動ながらも本格的なスポーツカーやレースマシンに採用されているのがMRと呼ばれている駆動方式です。これこそが、ミッドシップ車と呼ばれている一部のスポーツカーやF1マシンなどに採用されているレイアウト方式です。

端的に説明するならば、エンジン本体を車体の中央に配置することでエンジンの慣性力を軽減することが可能なため、より速く安定した走りを実現できるのです。そして、ツーリングカーではなくスポーツカーの製造を考えていたBMWが採用しようとしていたのも、このMRと言われるものなのです。

E25から始まった新たなる系譜

まだBMWの本国であるドイツが東西に分断されていた時代、1972年の西ドイツではミュンヘンオリンピックが開催されました。その記念すべきオリンピックが閉幕した1972年に合わせて、BMWは“BMW博物館”というものを建造しています。この博物館は建て替わっているものの現在でも残っており、歴代の名車が展示してあることで親しまれています。

当然ながら、建設当時にも展示の目玉となるようなクルマが必要となり、BMWが製造したのが「BMWターボ (E25)」と呼ばれているモデルです。
ベースとなっているのは「BMW 2002」という小型のセダンタイプのもので、2000ccのエンジンを活かしツーリングカー選手権で、ライバル社でもあるポルシェとデッドヒートを繰り広げたことでも有名です。
そのように小型な2ドアセダンとして人気のあった「BMW 2002」の姿を見た後に、「BMWターボ」を見てみると同じベースで設計されているとは思えないほどかけ離れたデザインになっています。何といっても驚くのはガルウィングドアとリトラクタブルヘッドライトが採用されていることで、現在に至るまでに採用されたのは「BMWターボ」のみであります。もちろん、スポーツカーとしての性能も引き出すべくエンジンレイアウトをミッドシップへと変更し、エンジン本体も200PSを出すことのできる2L4気筒に換装されています。ゼロワン(0km/hから100km/h)に達するまでの時間)では6.6秒をマークし、最高速度は約250km/hという当時では破格のスペックを有していました。

打倒ポルシェを掲げて

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当時のレース人気は凄まじく、各メーカーともにレースでの勝敗に強いこだわりを見せていました。もちろん、勝ち負け自体にもこだわりがありましたが、何よりも自社の技術力をアピールする場でもあったのです。
前述した「BMWターボ」が製造されていたのは1972年であり、当時のレースはグループ4やグループ5といったようにカテゴリー分けされていました。
そのグループ4やグループ5で圧倒的な存在感を見せつけていたのが「ポルシェ 934/935」と呼ばれているモデルです。
特筆すべきは「ポルシェ 934」はポルシェ初の水冷式クーラーが採用されており、「ポルシェ 935」に至ってはエンジン性能の良さでカテゴリー5を独占し、ついには締め出されてしまったという逸話があるほどに性能の良いモデルでした。
当然ながらライバルとして立ちはだかっていたのがBMWであり、なんとしてもポルシェの勢いを止めたいという強い思いがありました。
ピュアスポーツカーを専門的に製造しているポルシェに対して、BMWはツーリングカーをメインとして製造していたためにレーシングカーへの経験値不足が課題となっていました。しかし、そこを埋めたのが「BMWターボ」で初採用されたターボエンジンの技術であり、これはポルシェよりも早い時期に採用することに成功しています。

このターボエンジンには戦時中に培われた航空機用のエンジン技術が応用されており、他社と比較しても一歩先を行く技術力を保有していました。これを足掛かりとしてリードを広げるような車の設計が考案され、「BMW E26」という開発コードで製造が始められることになりました。

苦難に負けずランボルギーニと提携

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「BMWターボ」とは異なり、ピュアスポーツカーとして設計されており、ポルシェの強力なエンジンに打ち勝つために4.5LV型12気筒エンジンが採用されることとなっていました。

しかし、1973年に起きた第一次オイルショックの影響もあり、世界的にエコへの関心が高まるなど環境や燃費性能の悪いエンジンは敬遠されるようになっていました。
そのため、3.5L直6DOHCエンジンへと換装されましたが、ドライサンプ方式を採用するなど重心位置を最大限に下げ、車体設計で性能を引き出していくという方向へとシフトしていきます。とはいえ、当時のグループ4に出場するモデルには“連続する2年間で400台以上製造しなければならない”という条件が存在しました。

BMWは高性能なクルマを設計できたものの、それを2年間で400台以上製造するだけの技術やノウハウが足りず、イタリアの名門ランボルギーニ社へと製造を委託することとなりました。スーパーカーへのノウハウが蓄積されているランボルギーニへと委託したおかげで、シャシーの設計や軽量化など多くの恩恵を受けることができるなど順調に製造へとこぎ着けることができました。

しかし、肝心の製造に入った途端にノルマが達成できなくなるなど問題が多発し、ついにはBMW側もランボルギーニへの委託をやめてしまいました。ここで終わりかと思いきや、イタルデザインを立ち上げたジウジアーロがボディデザインを担当することとなり、ついにはイタリアとドイツの両拠点で製造するという前代未聞の形で「BMW E26」は完成することとなりました。

王者の風格とBMWの誇り

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1978年のパリサロンにおいて、ついに「BMW E26」は「BMW M1」へと正式名称を変えてデビュー。その後はワンメイクレースや念願のグループ4 / 5への参加、そしてラリーにまでも参加するなど多岐にわたり多くの人を魅了するモデルとして愛されることになりました。その証拠として、2008年には「BMW M1」の30周年記念モデルが発表され、そのコンセプトカーには高い関心が集まることとなりました。

現在ではMシリーズのM1は欠番となっているだけに、BMWも特別な思い入れのあるモデルとして敬意を表しているのだと分かります。時代の荒波にもまれながらも燦然と輝く「BMW M1」。みなさんも、その雄姿をもう一度振り返ってみてはいかがでしょうか。

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