BMW といえば、キャッチコピーの「駆け抜ける歓び」を思い起こす方は多いでしょう。今すぐにハンドルを握って走りに出かけたくなるような名コピーですが、いつから使用されているのかご存知ですか?この有名なコピーにまつわるさまざまなエピソードを紹介していきます。
ところで、この「キャッチコピー」とはいわゆる和製英語で、「アドバタイジング・スローガン(Advertising slogan)」が正確な英語となります。それにならい本稿も「スローガン」で統一させていただきます。
ドイツ語では「Freude am Fahren」、年末恒例の第九と同じ?
BMWのキャッチコピーといえば、「駆け抜ける歓び」が有名ですが、元のドイツ語では 「Freude am Fahren」で読み方は「フロイデ・アム・ファーレン」です。フロイデ、というと年末恒例のベートーベンの交響曲第九番、いわゆる「第九」を思い出される方もいらっしゃると思いますが、「歓喜、歓び」という意味です。一方、「 Fahren」は「運転」という意味なので直訳すると「運転する歓び」ですね。それを日本では「駆け抜ける歓び」と訳したのは素晴らしいセンスではないでしょうか。
英語でも”Sheer Driving Pleasure”(運転する歓び)とドイツ語とほぼ同じです。フランス語では「La joie de conduire」、スペイン語では「Para el puro placer de manejar」となって、若干ニュアンスの違いはあるかもしれませんが意味的にはそれほど大きな差はありません。
唯一の例外がアメリカで、 「The Ultimate Driving Machine」―つまり、「究極のドライビング・マシーン」という独自のスローガンが使われています。このスローガンをつくったのはAmmirati&Purisという小さな広告代理店で1970年のことでした。ディレクションを行ったのは、当時まだ大学を出たばかりの若者 で、遊び心を取り入れて女性ファンを獲得したかった そうですが、むしろ男性に好まれそうなスローガンですね。日本人の感覚からすれば、ちょっと大げさな印象も受けますが、アメリカではこのストレートさが心に響いたようです。
”Freude am Fahren”までの長い道のり
「フロイデ」(歓び)がBMWの広告に初めて登場したのは1930年代のことでした。BMWのクルマやオートバイの宣伝コピーとしてポスターなどに「クラフトファーレン・ムスフレード・ベレイテン」(運転は歓びでなければならない)や「フロイデ・ウント・ヌッツェン」(歓びと利便性)などが使われていました。また当時の主力車種だった326では「ドッペルテ・フロイデ・アム・ファーレン」(運転の歓びが倍に)なども使われていたようです。
「ファーレン」(運転)が登場するのは第二次世界大戦後の1950年代になってからで、BMWが発売していたモデルそれぞれに合わせた宣伝がされるようになっていました。例えば1955年のBMWイセッタでは、「フロイデ・ハーベン、コステン・スペアン、BMWイセッタ・ファーレン」(所有する歓び、お金も節約、BMWイセッタを運転すること)といったコピーが用いられています。「運転」も「歓び」も使われていますが、元のドイツ語では韻を踏んでいることもありちょっとユーモラスな響きで、「駆け抜ける歓び」とは随分印象が違います。
一方、高級車の501/502セダンと503クーペでは「BMWファーレン・アスンプルクスヴォレ」(BMW、洗練された運転)や「ワーゲン・フォン・ウェルト」(世界のクルマ)などが使われていました。また、「BMW・アイネ・クラッセ・フュル・シッチ」(BMW、独自のクラス)がプレスリリースなどでヘッドコピーとして用いられてはいましたが、BMW全体を表すスローガンではありませんでした。
1950年代は戦後再開した四輪車事業がまだ軌道に乗っておらず、BMWが苦境に立たされていた時期で、伊イソ車のイセッタをライセンス生産することでなんとか経営の立て直しを図っていました。当時のドイツ国民からすれば、BMWはオートバイメーカーであり、またかつては高級車メーカーで現在は身近なマイクロカーを作っているメーカーというイメージだったのでしょう。これでは統一したスローガンを立てるのは難しくなります。
「ノイエクラッセ」の登場がBMWのイメージを変えた!
1962年にBMWが満を持して発売した本格的な小型乗用車1500は「ノイエクラッセ」(新しいクラス)という社内での呼び名のとおり、それまでのクルマとは大きく異なっていました。
1500は大人4人がちゃんと乗車できる居住空間とたっぷりした荷室を確保した上でスポーティな操縦性と端正なスタイリングを実現した高品質なFRのサルーン―つまり現代のBMWの原型のようなクルマだったのです。そして新しい酒には新しい革袋が必要なように、広告にも新たなアプローチが求められるようになったのです。
1964年に登場した1500の追加モデル、1800の広告では「オース・フロイデ・アム・ファーレン」(完全なる運転の歓び)というフレーズで締めくくられていました。このフレーズがさまざまな広報活動に使われることになります。そして1965年にBMWは初めての企業スローガンとして、この「オース・フロイデ・アム・ファーレン」を採用したのです。
1972年、ついに「駆け抜ける歓び」の登場!
1972年の初代5シリーズの登場に合わせるかのように、「オース」がカットされ、今に至るBMWの企業スローガンである「フロイデ・アム・ファーレン」、「駆け抜ける歓び」が誕生しました。1972年といえば戦後復興をなし得た西ドイツ(当時)がミュンヘンでオリンピックを開催した年です。そして「4シリンダー」として有名なBMWの本社ビルもこの年に竣工しています。ドイツが、そしてBMWが戦後の困難を乗り越えていよいよ世界へと羽ばたく、そのときに「駆け抜ける歓び」も誕生したというのは感慨深いですね。
企業スローガンはブランドからお客様への重要なメッセージです。企業は商品ごとにさまざまな広告をつくりますが、個々の商品や広告を覚えていなくても強力な企業スローガンがあれば、それを覚えているものです。ナイキと聞けば、個々のシューズについては思い出せなくても、”Just do it”というスローガンなら誰でもすぐに思い出すのではないでしょうか。
専門家によると優れた企業スローガンと呼ばれるものは以下に述べる4つの条件の大半またはすべてを満たしているそうです。
条件1:覚えやすいこと
スローガンを見たり聞いたりした人がすぐに意味を理解して覚えられるような短いフレーズが良いとされています。短いフレーズはCMやポスターなどでもアイキャッチとして利用しやすいというメリットがあります。
条件2:要点が分かりやすく含まれていること
マーケティングでは、”Sell the sizzle, not the steak” という有名な言葉があります。つまり食べ物(ステーキ)を売るのではなく、触感や匂いなどの感覚で受け手側の食欲を刺激しろ、ということです。単に製品の機能を羅列するのではなく、そこから消費者が何を得られるのかを伝えることが重要というアドバイスです。
条件3:ブランドの差別化
ブランドにとって重要なのは、他社とは「何かが違う」と受け手側に思わせることです。他のパソコンメーカーがスペックだけをアピールする中、アップルが”Think different”という素晴らしいスローガンで鮮やかに、「アップルは違う」とイメージづけたのはその良い例かもしれません。
条件4:ブランドにポジティブなイメージを与えること
優れたスローガンはポジティブで良いイメージを受け手側に与えます。サントリーの「水と生きる」という企業スローガンは美味しいビールやウイスキーをつくるのと同時に環境にも配慮した企業というイメージを与えます。
BMWの「駆け抜ける歓び」はこの4つのポイントを見事に満たしているからこそ半世紀近くも世界中で使われているのでしょう。
「駆け抜ける歓び」はこれからも
かつては日本で販売しているBMWもリアウインドウに「Freude am Fahren」のステッカーが貼られていたことを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、2008年からはEfficientDynamics(エフィシエント・ダイナミクス)ステッカーに変わっています。 21世紀に入り、クルマを取り巻く環境も大きく変化しています。従来のガソリン車に代わるEVの台頭、自動運転技術の進歩など旧来的なドライビングプレジャーという概念が通用しなくなってくる時代が近いのかもしれません。
非常にささいなことかもしれませんが、BMWがステッカーを「エフィシエント・ダイナミクス」に変えたことは、「駆け抜ける歓び」というスローガンを捨ててしまうことの兆候かも…と考える方もいらっしゃるかもしれません。しかしBMWでは、エフィシエント・ダイナミクスとは最新の省燃費技術をより多くのモデルに搭載し、BMW車全体でCO2削減を目指すという考え方 であると説明しています。
時代は変わっても受け継がれてきた「駆け抜ける歓び」をあきらめることはない―そんな未来のモビリティに対するBMWの強い意志表示なのかもしれませんね。