街中をドライブしていると必ずと言ってもいいほど見かける「MINI」は、イギリス生まれのクルマとして多くの日本人に知られている一方で、現在はBMWが販売しているということを知らなかったという人も多いのではないでしょうか。現在のMINIは、2001年3月2日(BMW Japanが語呂合わせで「ミニの日」に制定)に販売が開始されており、第3世代にあたる現行モデルでは7モデル(JOHN COOPER WORKSとMINI ELECTRICを含む)がラインナップされています。
上図JAIAの統計情報にあるように、2016年から2018年までの3年間連続で年間のモデル別新車登録台数で1位になるなど、輸入車の中でも日本人に非常に人気の高いブランドなのです。では、なぜMINIはここまで日本人に人気があるのでしょうか?そこには、MINIのブランドイメージと独自の企業戦略、何よりも日本人に愛されてきたデザイン性と車体性能にその答えが隠されています。
英国生まれの個性が日本人の心を掴む
イギリスで誕生してから60周年を迎えたMINIは、ドイツ生まれのBMWとは異なったデザイン性と機能性が特徴的でもあります。いわゆる”クラシックミニ”と呼ばれているBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)時代に販売されていたモデルは、現行モデルと比較するとコンパクトながらも本格的な走りを楽しめる車として人気がありました。
イギリス国内で爆発的な人気があったMINIは世界中に販路を拡大することとなり、日本へも輸出されることとなります。1960年代はビートルズやローリングストーンズなど、英国バンドがアメリカのビルボードチャートを独占する”ブリティッシュ・インヴェイジョン”と呼ばれた現象が起きるなど、英国文化がもてはやされるようになっていました。もちろん日本でも英国バンドを始めとした人気に火がついており、現在よりも小規模ながらもMINIの輸入がはじまり認知度が高まっていった先駆けの時代でもありました。
MINI特有のコンパクトなボディは同じ島国の日本でも取り回しが良く、何よりもイギリスの著名人たちが愛したデザイン性と走行性能が魅力的でもありましたが、いくつかの弱点も指摘されていました。当時のヨーロッパではマニュアル車が主流でしたが、アメリカの影響を強く受けている日本ではオートマチック車が台頭していた時代でもありました。しかし、日本へと輸入をする際にオートマチック機構へと換装することは設計上難しかったため、日本での普及を妨げる要因になりました。また、エンジンを冷却するためのラジエーターは装備されていましたが、本国イギリスとの気温や湿度の違いから負担がかかる設計となっていました。このため、渋滞などにハマるとエンストしてしまうことも多く、クーラーをかけただけでもエンジン周りが高温になるなどトラブルの原因となっていました。
もちろん、これらの弱点を喫緊の課題としていたMINIは改良を重ねることで対応し、MINIは故障しやすいという日本人の不安を払しょくしていくことに成功します。ラジエーターやエンジンを改良することで日本ではMINIの人気が少しずつ広がっていき、1982年にはローバージャバン社が輸入元となったことで空前のMINIブームが到来することとなります。
MINIのセールスプロモーション
BMWから販売されている現在のMINIにおいても、限定モデルを多用した販売戦略が特徴とされています。冒頭でもお伝えしたように60周年を迎えたことを記念したMINIは、アニバーサリーモデルを売り出しながらも「CLUBMAN BLUE NOTE TOKYO EDITION」や「CROSSOVER NORFOLK EDITION」などの限定モデルを同時並行でプロモーションしています。
実は、このプロモーション手法こそMINIの人気を支えている秘密の1つでもあり、日本では1984年の25周年アニバーサリーモデルを契機に、新たな特別仕様車を半年ごとに販売するという斬新な方法が採用されているのです。
これこそ現在まで連綿とつづくMINIのプロモーション戦略であり、実際に1985年には「Ritz(リッツ)」、1986年に「Chelsea(チェルシー)」「Piccadilly(ピカデリー)」、1987年は「Park Lane(パークレーン)」「Advantage(アドバンテージ)」と枚挙にいとまがないほど次々と限定仕様車を販売していきました。
現在のMINIがそうであるように、当時の限定仕様車も明確なコンセプトと相応しいデザイン性が人気を呼び、日本国内の販売は倍増するなど見事にプロモーション戦略が成功したのです。この斬新なプロモーション戦略の裏には、世界的に人気のあったMINIが生産終了をするという噂がたつほど経営的に追い込まれていた状況がありました。その原因となっていたのは、「オースチン・メトロ」の失敗と言われています。
この車種は、MINIの後続車を開発するプロジェクトとして設計・デザインされたものであり、MINIをベースとしながらも当時のコンパクトカーとしては異例の1275ccものエンジンを搭載するなど社運を賭けたクルマでした。実際に会社の経営状態は良好と言えない中の販売であり、販売が終了したCLUBMANシリーズに代わるはずの車種という位置づけにありました。
しかしながら、開発に投資した費用対効果が見込めるほどの売り上げは立たず、ヨーロッパ市場ではある程度の成功を収めるも日本市場での不人気ぶりは経営戦略に打撃をあたえるものでした。こうした中で、設計コストを抑えるために新しいモデルを製造するのではなく、マイナーチェンジや限定仕様車によるMINIの売り上げ増加を画策することになったのです。
このように、生産中止の危機からV字回復したMINIの裏には、巧みなプロモーション戦略と日本での爆発的な人気があったのです。
日本人に向けたオリジナルのMINI
1980年代の限定仕様車を連続的に販売する戦略が日本でヒットすると、ローバー社はMINIの販売戦略として日本を重要視するようになっていきました。とくに、1990年代に突入するとMINIは設計や車体の品質が格段に向上しており、1991年にはエンジン回りの強化だけでなく排気ガス規制にも対応するなど現代車としての品格を十分に備えたモデルへと成長していました。
1997年になると次世代モデルとして開発されているMINIの噂が巷を駆け巡る一方で、当時の誰も予想していなかったようなビッグサプライズが起こります。それこそが、日本へ向けた独自仕様車の販売です。欧州仕様車ではラジエーターを全面配置にすることでエンジン設計も見直されていましたが、日本仕様車は日本ならではの要望であったオートマチック車とクーラーの標準装備化を優先したモデルとなりました。そのため、エンジン機構も欧州仕様車とは異なる部分が多く、日本独自の内部設計として製造されました。
この1997年から販売されたモデルは”ローバーMINIの最終モデル”とも呼ばれており、2000年の生産終了間際のサプライズとなりました。
伝統の系譜はBMWへ
ローバー社の経営不振により、ローバー社を傘下に収めていたBMWは部門整理を開始することとなります。その際にMINIを自社ブランド化したことで現在のMINIが存在しているのです。“クラシックミニ”という愛称で根強いファンも多い中、BMWは伝統を踏襲しながらも新しいMINIの形を体現することに成功しました。
冒頭で紹介したように、MINIというブランドはBMWへと移っても日本人からの人気が高く、多くの人が憧れるクルマとして販売され続けています。何よりも、日本限定の特別仕様車が販売されていることがそれを裏づけています。そして、日本人と深い繋がりがあったMINIは60周年を超えた先にも、きっと多くの人から愛され続けるブランドとして残り続けていくことでしょう。