FFの革命児!MINIがいなければ世界は変わっていた?

クラシックMINIは戦後の乗用車でFFを採用して大ヒットした初めての車と言われています。現在のクルマはFFが主流といっても良い状況ですが、それもクラシックMINIの存在があってのことでしょう。そしてそのクラシックMINIのスピリットはMINIにも受け継がれています。革新のクラシックMINIと進化したMINIを通じてFF車について解説していきます。

実はクルマ誕生当時からあったFF

画像引用:https://www.mini.jp

日本では1980年代後半から1990年代にかけて小型乗用車の主流がFR車(後輪駆動)からFF車(前輪駆動)に移行したことからFFは新しい技術だと思われている方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、実際にはクルマが発明された当初からFF車のアイデアはありました。実際に1927年にはフランスのFF車が伝統あるレース、ル・マンで完走したという記録が残っています。もともとクルマの起源をたどると馬車に行き着きますが、馬車は馬が先頭に立って客車を引っ張る形なのでいわばFFです。ホンダの創業者、本田宗一郎氏も「大八車や人力車は前から引っ張るから安定する」と言っていたようにFFには合理性がありました。しかし実際にFF車をつくろうとすると操舵システムの問題が立ちふさがります。ハンドルを切ってカーブを曲がる場合、内側のタイヤと外側のタイヤでは回転差が生じます。遅いほうの車輪がブレーキになってしまうことからスムーズにカーブを曲がるのが難しくなります。

さまざまな諸問題を解決して生産車として初めて成功したFF車と言われているのが1934年に登場したフランスのシトロエン7CV トラクシオン・アバンです。トラクシオン・アバンはフランス語で前輪駆動を表す言葉で、まさにこの一台からFF車の歴史がスタートしたのです。とはいえ、ステアリング操作の重さや回転半径の大きさなど、FFの問題はそのまま残されており、クルマの中心となるまでには至りませんでした。

必然性がMINIをFFにした

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MINIが登場する1950年代でも主流は相変わらずFR車で、FFを採用する乗用車はフランスのルノーやスウェーデンのサーブなど一部に限られていました。これらはいずれもエンジンを縦置きしてその後ろに前輪とトランスミッションを配置するレイアウトでした。しかしこの配置だとエンジンの排気量が大きくなる(=エンジンの全長が長くなる)と同じ排気量のFR車よりもフロントが長くなってしまいます。そのためエンジンの小さなクルマにしか使えないことになりますが、そうすると縦に長いパワートレーンが小型車に搭載する際にはネックになるというジレンマに陥ります。現在ではエンジン縦置きFFは4WD化しやすいというメリットを活かしたアウディやスバルなど一部のメーカーに限られています。

かといってエンジンをそのまま横置きにするとトランスミッションがエンジンの左右どちらかに配置することになります。トランスミッションから伸びるドライブシャフトの長さが左右で違ってくることでアクセルを踏んだときに片方にハンドルを取られる現象、いわゆるトルクステアの原因になってしまうのです。

この技術的な問題を鮮やかに解決したのが当時BMCの設計技師だったアレック・イシゴニスでした。彼はエンジンの真下にトランスミッションを配置し、その直後に駆動する前輪を置くという革新的な2階建てのレイアウトを考案しました。これはクラシックMINIの設計にあたり、エンジンは既存の直列4気筒エンジンを使わなければならないという前提条件があったためです。ひょうたんから駒、とはこのことかもしれませんが、初めからよりコンパクトなエンジンも新設計するという条件だったならクラシックMINIによるFF車の革命は行われていなかったかもしれませんね。

こうしてエンジンを横置きにして前輪を駆動することでパワートレーンをコンパクトにおさめて小型ながら大人4人がちゃんと乗れるパッケージが生まれ、クラシックMINI以降はFFが小型車の主流となっていったのです。

ランボルギーニ・ミウラとクラシックMINIの意外な共通点とは

クラシックMINIの2階建てレイアウトを採用したクルマに、あの名車ランボルギーニ・ミウラがある、というと驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。もちろんミウラはFFではなくエンジンを後輪の前に置くミッドシップですが、そのパワートレーンはV型12気筒エンジンを横置きにしてその下にトランスミッションを配置して後輪を駆動するという、いわばクラシックMINIの方式をそのまま車体後部に持っていったレイアウトだったのです。

ミウラがこの複雑で斬新なレイアウトを採用した理由には諸説ありますが、ミッドシップでありながら従来の古典的なスーパースポーツカーのようなスタイリングを実現することも目的だったと考えられます。現在ではミッドシップのスーパースポーツカーといえばフロントが短くキャビン部分が前進してリアが長いというスタイルを思い描くかもしれませんが、これは同じランボルギーニのカウンタックが登場して世界に衝撃を与えた以降のことです。それ以前のスーパースポーツではFR車のように古典的なロングノーズ&ショートデッキの優美なスタイルが主流でした。

ちなみに、ミウラの少し後に登場したフェラーリの365GT4BBもエンジンは縦置きですがクラシックMINI同様にトランスミッションを下に置くレイアウトを採用していました。365GT4BBもそれ以前のフェラーリのようなロングノーズ&ショートデッキのプロポーションを採用していたのも決して偶然ではなく、ミウラ同様の狙いがあったと考えられます。

こうしてFFがクルマの主流となった

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クラシックMINIが誕生した背景には1956年に勃発したスエズ動乱による石油価格の高騰があると言われています。さらにその後世界を襲ったオイルショックにより日本でもFF車が生まれていきます。

当初、FF車をつくるのに重要な等速ジョイント(エンジン側の回転を角度を変えてもスピードを落とすことなくタイヤ側に伝える部品)の開発が難しく価格も高かったのですが、技術が進歩したことと量産効果によりコストが下がりました。そうなるとFR車のように後輪を駆動するプロペラシャフトやハイポイドギア(エンジンの回転を車輪の回転方向に90度変える部品)が不要になります。これらは重量もある上、高価な部品なのでFFにすることで軽量化と低コスト化を一気に実現することができたのです。

さらに1990年代に入ると衝突安全性への対応に自動車会社各社は追われることになります。具体的には車体の全部にクラッシャブルゾーンを設けて衝突時の衝撃を吸収するボディの研究が進みます。そういったいわば「つぶれしろ」を設けるためには必然的にエンジンの全長を短くする必要があるので縦置きFRから横置きFFへの移行が急速に進んだのです。

重いステアリングもパワーステアリングが標準装備となることやFF特有のアンダーステアもサスペンションに関する技術が進化したことで普段は意識することもなくなりました。もちろんFF車の特質である直進安定性の高さや安定した制動力はそのままにです。

クラシックMINIから最新のMINIへー受け継がれるFFの伝統

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FF小型車の新しい道を切り開いたクラシックMINIでしたが、2階建てのFFレイアウトを採用した例は日産チェリーなど少数にとどまりました。エンジンの下にトランスミッションを置くことで重心が高くなってしまう点がネックになったからです。クラシックMINIの場合は排気量が小さかったこととエンジンのヘッド部分がシンプルで軽いOHV方式だったことからそれほど問題にならなかったのです。FF車の主流はクラシックMINIの後にフィアットのダンテ・ジアコーザ技師が開発した、横置きエンジンの直後にトランスミッションと駆動輪を並べる方式となっていきます。現在のMINIも、もちろんジアコーザ式のFFを踏襲しています。

かつて「FF車は運転がつまらない」と言われていた時期もありましたが、それは単純にFF車は安定性が高いのでドリフトができないという理由でした。ハイパワーなエンジンを搭載したFFはトルクステアが強く運転しづらかったり、サスペンションの設計がFRよりも難しかったのは確かです。

しかし乗用車の主流がFFへと移行することでサスペンションやパワーステアリングの制御技術が進み、より自然な操舵フィーリングを手に入れることができるようになったのです。

現代の「The MINI」と呼べるクーパーの3ドアでドライブしてみればクルマとしての資質は大幅に進化しながら、ハンドリングにはしっかりとかつてのゴーカートフィーリングが宿っていることに驚かされるのではないでしょうか。それでいて乗り心地や快適性は一段と洗練されていることこそ進化の証です。

最新の技術で伝統の乗り味を再現したMINIのエンジニアリングには頭が下がる思いです。MINI誕生から60年以上、そしてBMWにバトンが受け継がれてからすでに20年が経過しましたが、クラシックMINIが切り開いたFF乗用車のパイオニアとしての伝統はしっかり守られています。これからもMINIは世界のFF車のモデルとして君臨していくのでしょう。

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