スポーツカーと言えば、軽量化されたボディに大きなエンジンを積み、大きな車体と優美なデザインは羨望の的とも言えます。日本でも1980年代を中心にスポーツカーの人気が高まり、各メーカーがしのぎを削って名車と呼ばれるモデルを多く生み出しました。
その中でも異色とも言えるブームが“軽スポーツカー”と呼ばれるジャンルです。一般的にスポーツカーと言えばセダンタイプほどの大きさを想像すると思いますが、軽スポーツカーはその名の通り軽自動車タイプになっており非常に小さなボディが特徴的です。現在でもホンダ「S660」やダイハツ「コペン」など幅広い世代で根強い人気があります。その中でも草分け的な存在がスズキ「カプチーノ」です。
軽スポーツカーの夜明け
1980年代の日本では性能だけでなく“デートカー”としてもスポーツカーの需要が高まっており、普通車ではなく軽自動車でも本格的なスポーツカーを販売するという機運が各メーカーともに高まっているという状況でした。また、”走り屋ブーム”や”ハイソカーブーム”に後押しされたこともあり、4WDのような馬力のある駆動方式やドリフト走行が可能なFF方式、車体が大きくデザイン性のあるモデル設計がなされていた日産「スカイラインGT-R(R32)」や日産「シルビア(180SX)」、トヨタ「ソアラ」などに人気が集中していました。
このような状況下で、当時の軽自動車は商用車として設計されたものが多く、各社とも走りやデザイン性を求める人を購買層として設定していませんでした。その中で各メーカーに先んじて軽自動車市場に打って出たのが、ダイハツ「ミラ(TR-XX)」でした。
この「ミラ(TR-XX)」は同時期に販売されたラインナップの中でも高性能モデルとして売り出され、ダブルバックドアにフルフラットシートという軽自動車初の機能を搭載し、直線的でおしゃれなボディデザインは若者にも非常に人気がありました。
とくに660cc規格と呼ばれる排気量規制が導入されることが決定し、550cc規格で販売する軽自動車の集大成という役割も担っていたこともあり、空冷式インタークーラーのターボエンジンを採用したことは軽自動車市場に衝撃を与えました。この状況下で各社ともに軽スポーツカーに需要があると見込み、一気に軽スポーツカーの開発競争が始まりました。
カプチーノの前身
軽自動車をスポーツカーとするべく、1980年代は各社ともにエンジンの出力を上げることに注力していました。スポーツカーに求められる最低限のスペックとして、高出力のエンジンと軽量化された車体が挙げられます。その点、軽自動車は車体重量が軽量だったため高出力のエンジンが優先されました。しかし、軽自動車の車体はコンパクトなためスペースが必要な高出力エンジンを設置することが難しいだけでなく、価格との兼ね合いも考慮しなくてはいけませんでした。
そこで注目されたのがターボチャージャーです。過給機とも呼ばれており、内燃機関へ圧縮した空気を送るための仕組みです。ターボエンジンの利点として、軽自動車に使用している既存のエンジンに取りつけるだけで一気に馬力を上げることができるという手軽さにあります。一方で、エンジン周りのパーツが増えるため製造工程やメンテナンスの手間が増えてしまいますが、新たにエンジンを設計して製造するコストと比較するとパフォーマンスが高いのです。
こうして、前述したダイハツ「ミラ(TR-XX)」やスズキ「アルトワークス」などが人気を呼んだ一方で、白熱する開発競争の結果スズキ「アルトワークス」が最高出力64PSを達成した段階で自主規制を行うこととなりました。これは、当時の運輸省が馬力競争の引き金になるとして各社に意向を伝えたためとされており、2019年の現在でも軽自動車の最高出力は64PSのまま据え置かれています。
このため、スズキ「アルトワークス」以降の軽スポーツカーは馬力だけでなく、操作性や機能性を追求していくことになります。
そんな中、1989年の東京モーターショーに向けてのコンセプトカーを設計していたスズキは、市販化を考えずに本格派のスポーツカーを造るという発想のもとに「U.L.W P-89」というコードネームのプロジェクトを始動させました。
このときの車両重量は450kgを目標に設定しており、カーボン製の素材を始めとした軽量素材を多く使うなどコストを度外視した設計でした。また、ライバルのマツダ「AZ-1」がガルウィングを採用するという情報を耳にしていた開発チームは、オープンカータイプにするなどライバル社と競い合うように完成に至りました。
そして、1989年の東京モーターショーで「P-89」として発表される否や盛況を呼び、市販化へと舵を切ることになったのです。
名車「カプチーノ」の誕生
市販化へと舵を切ったスズキは次回の東京モーターショーまでに市販化することを決意しましたが、排ガス規制の緩和により軽自動車も550ccから600ccへと排気量が引き上げられると車体サイズも一回り大きく変更されてしまいました。完成までに残された期間としてはわずか一年半程でしたが、エンジンやバッテリーの配置変更により理想的な50:50の車両重量バランスへと近づけることに成功しています。そして、1991年にスズキ「カプチーノ」として無事販売されました。
軽スポーツカー初の“ライトウェイトFRスポーツカー”として脚光を浴びたカプチーノの装備は、本格的なスポーツカーと十分に言えるものでした。とくに目を惹いたのが、当時としては珍しい開閉式のメタルルーフです。このメタルルーフは4分割されており、フルオープン・クローズド・Tバールーフ・タルガトップと、4つのスタイルを楽しめるという前代未聞の設計になっていました。また、スズキ「アルトワークス」から継承しているターボエンジンを縦向きにフロントミッドシップへ配置するなど、細部まで徹底した造りがファンだけでなく多くの若者の心を掴みました。
こうして、同世代の人気車種マツダ「AZ-1」、ホンダ「ビート」と共に”ABCトリオ”と親しまれ、現在では世界中に熱狂的なファンがいるまでの名車となったのです。
カプチーノに復活の兆し?
スズキ「カプチーノ」は非常に成功したモデルと言えますが、バブル崩壊の波にあおられカプチーノ以降スズキから軽スポーツカーを販売することはありませんでした。それゆえに、世界中のファンからは再販や新モデル販売を期待する声が多くあがっています。
そんな中、2020年を目標にカプチーノが復活するのではないか?という予想が各誌から発表されており、インターネット上でも話題を呼んでいます。もちろん、オフィシャルな情報ではないため憶測の域を出ませんが、”ABCトリオ”と呼ばれていたホンダ「ビート」はホンダ「S660」として生まれ変わって成功を納めており、このことが追い風となり新型カプチーノの開発が進んでいるのではないかとにわかに期待されているのです。
まとめ
現在でも根強い人気を誇るスズキ「カプチーノ」は、軽スポーツカー初の“ライトウェイトFRスポーツカー”として名車と呼ばれるまでになりました。その開発にはライバル社との競争もありましたが、数十年経った現在でも再販や新型カプチーノに期待する声が挙がるほどの成功を納めたと言っても過言ではありません。新型カプチーノの開発に向けて期待しながら、往年の名車スズキ「カプチーノ」を思い返してみてはいかがでしょうか。