BMWは2018年10月、ニュー3シリーズであるG20タイプを発表しました。それを目にした瞬間の感想は「正常進化したな」と「静寂」でした。正常進化とは、予想を裏切らない変化であり、今回の進化も3シリーズファンを興奮させるが、違和感は持たせない、気品ある静寂さと合わさって、どことなく安心感すら漂っています。そしてニュー3シリーズに目と気持ちが慣れてくると、次にこう感じました。
「またやられた」
前回のE90からF30への進化でも似た印象を持ち、まずは「新しいのに紛れもなく3シリーズだ」と感じ、しばらく経ってから「同じ3シリーズだけど、まったく違う」と確信していきます。
最新の3シリーズG20の日本デビューは2019年3月頃とアナウンスされていますが、すでに欧州デビューから数カ月が経ち、報道も増え、だいぶ見慣れてきました。そしてニュー3シリーズをみるたびに、研ぎ澄まされた新しさに胸を打たれます。G20タイプには静寂な雰囲気があり、それはまるで日本刀のようだと感じます。
どちらも静寂な雰囲気を醸し出している
G20タイプの公式写真を初めて見たときは気がつきませんでしたが、後日、前後のドアの下部にあるシャープなラインに目がとまりました。デザイン的にはそのまま「ストンッ」と切り落としてしまっても破綻しないところを、BMWはわざわざドアの鉄板を盛り上げています。これに気づいたとき「ここまでコストをかけた、デザイン上の狙いとは何だろうか」という疑問が出てきました。
そのラインは前部から後部へと緩やかに上昇し、後輪に届く直前で急上昇し、その形状が、緩やかに弧を描く日本刀をイメージさせます。このイメージが明確になったことで、ニュー3シリーズに感じた静寂さの理由が分かったような気がしました。
鋭いラインとふくよかな丸みが生む光と陰
静寂な印象ではあるが、地味ではないし、大人しいわけでもないです。
ニュー3シリーズのボディは、鋭いラインに加え、ふくよかな丸みも組み合わさっているのでむしろゴージャスです。ただ不思議とどのラインもどのふくらみもうるさくないです。その、良い印象の秘密は「陰」にあります。ボディの凹凸は陰影をつくり、その陰は光が当たる部分のけばけばしさを帳消しにしながら、人の注意を引く寂しさを生みます。
3シリーズは走りを楽しむクルマであり、そのコンセプトはニュー3シリーズでも変わりません。ただ、置いておくだけで画になるクルマにもなりました。
静寂は、「静かに寂しい」と書きますが、ここで言う寂しさは恋人とわかれた寂しさではなく、茶の湯の「侘び寂び(わびさび)」の寂しさです。茶道における茶碗が茶を飲む道具でありながら、観て楽しむ鑑賞物であるように、ニュー3シリーズも観ているだけで楽しいのです。
最強のデザインに魅了される
日本刀にも同じ寂しさを感じます。日本刀は美術品であり日本の宝でもありますが、玉鋼(たまはがね)という超高級品の鉄を使い、職人たちが鍛えてあの造形にします。現代日本で日本刀を武器として使う人はいません。現代の日本刀は、切れ味を楽しむものではなく、その姿かたちを愛で、波打つ模様の刃文(はもん)にみとれ、妖しい光に身を任せるものです。そして日本刀の所有者は一言「なんと美しいんだ」とつぶやきます。
武器を鑑賞する習慣は海外にもあり、例えばアメリカには拳銃コレクターがいます。拳銃も鉄による造形美を有します。観賞用の日本刀もコレクション用の拳銃も、過去に武器であったという歴史がなかったらこれほど崇め奉られたでしょうか。そして、その武器が単なる武器だったら、コレクターはそれに大金を支払うでしょうか。
日本刀が美術品や日本の宝になったのは、「現役」当時に最強だったからです。最強の武器にするために日本刀の職人たちは改良に改良を重ねたので、日本刀のデザインには合理性があります。無駄を削ぎ落しているからこそ、形に破綻がなく眺めていて落ち着きます。合理性と破綻のなさ、そして最強に対する畏怖の念が加わって、日本刀は美へ昇華したのです。
現代の日本刀は、もはや無暗に振り回されることはなく、床の間に置かれているか、居合の場で厳かに振られるかのどちらかです。床の間は静かな空間であり、居合は静かな技ですが、いずれも森のなかの静けさではなく、緊張の糸が張り詰めた静寂の場でもあります。
いい意味で近寄りがたさがある
ニュー3シリーズが日本刀と似ているのは、ドアの下部のラインだけではありません。日本刀の先端は切っ先(鋒)という特殊な形状が加えられていますが、ニュー3シリーズのフロント部分のデザインも、大胆な切れ込みが入ったヘッドライトと複雑な多角形になったキドニーグリルが組み合わさって、独特のたたずまいをつくっています。日本刀のボディに描かれた刃文は単調な波でないためいつまでも眺めていられ、ニュー3シリーズも、ボディのいたる部分にデザイナーの工夫の跡があり見飽きません。
そして両者は「鍛えられ方」も似ています。
3シリーズはいまや、高級車の激戦区であるミドルサイズに昇格しましたが、かつてはコンパクト・エグゼクティブ・サルーンで最強を誇っていました。コンパクト・エグゼクティブ・サルーンだった頃の3シリーズは、小さなボディの中に刺激的なエンジンと絶妙なフィーリングを生み出す豪華な足回りを内蔵した羊の皮を被った狼のような存在であり、その後BMWが3シリーズを磨き続けた結果、3シリーズは普通の4ドアセダンの枠を超えてしまいました。
人々が3シリーズを見るとき、「3シリーズだ」と思うのに対し、そのほかの4ドアセダンは4ドアセダンだと認識されます。固有名詞が一般名詞のように使われるのは、最強の称号を手にしたものだけに許された特権です。
日本刀も鉄砲が現れるまで国内最強でした。刀職人たちは、刃渡り2尺3寸(約70㎝)の長さにこだわり、そこに最高の技術を投入していました。刀職人たちも、BMWの技術者同様日本刀を磨き続けた結果、日本刀も「刃物」と呼ばれることなく、「日本刀」と呼ばれるようになりました。
いまやニュー3シリーズは若者が気軽に乗れるセダンではなく、その役割は1シリーズや2シリーズに任されています。いい意味での近寄りがたさは、オーナーになったときの喜びを増幅させます。簡単に所有できない日本刀と、やはり似ているのではないでしょうか。
ニュー3シリーズ(G20)と現行3シリーズ(F30)の比較
3シリーズはかつてコンパクト・エグゼクティブ・サルーンでありましたが、BMWはニュー3シリーズG20について「ミドルサイズ・エグゼクティブ・サルーン」であると案内しています。世間では、BMWのミドルサイズといえば5シリーズという認識ですので、BMWは3シリーズを格上げしたことになります。
中国市場を明確に意識している
G20の大きさは、全長4,715mm、全幅1,825mm、全高1,440mmとなり、ついに全長が4.7mを超えました。F30の全長4,624mm、全幅1,811mm、全高1,429mmと比べると、9㎜長くなり、3㎜広くなり、1.1㎜高くなったことになります。3シリーズの拡大路線は、世界最大の自動車消費国でありBMWの最大の顧客である中国を意識してのことだと言われています。
中国人は大きいものが好きですが、最近は富裕層の過度な贅沢が世間の顰蹙(ひんしゅく)を買うようになったため、5シリーズを購入できる富裕層も3シリーズで我慢しようとしています。ニュー3シリーズがミドルサイズに格上げされれば、「3」のバッジがついていても5シリーズの満足感が得られる、ニュー3シリーズにはそのような戦略も透けてみえます。
商業的な戦略は営業サイドの話であり、ニュー3シリーズはただ膨張させたわけではなく、エンジニアサイドは正常進化に徹底的にこだわっています。例えばニュー3シリーズのエンジンは、3シリーズより55kgも軽く、ボディ剛性は25%向上しました。
G20のエンジンラインナップは以下のとおりです。
- 320i 直列4気筒ターボ 184ps
- 330i 直列4気筒ターボ 258ps
- 318d 直列4気筒ディーゼルターボ 150ps
- 320d 直列4気筒ディーゼルターボ 190ps
- 330d 直列6気筒ディーゼルターボ 265ps
ディーゼルターボの日本投入は見送りか
- このうち日本には直列4気筒ターボが輸入されることがアナウンスされています。2019年2月段階で、日本での販売が発表されているグレードと車両本体価格は以下のとおりです。
- 320i SE 4,520,000円
- 320i 5,230,000円
- 320i M Sport 5,830,000円
- 330i M Sport 6,320,000円
まとめ~ニュー3シリーズが似合う人を考えてみた
初代3シリーズE21は1975年に誕生し、それから40年以上の時を経て今回の7代目G20となりました。
G20ではついに、ドライバーとニュー3シリーズが会話できるようにもなりました。音声アシストシステム「インテリジェント・パーソナル・アシスト」を装備すれば、ドライバーは3シリーズに「空港までの道を案内して」「室内が寒いんだけど」と声かけするだけで空港までの道順がナビゲートされ、暖房がつきます。
そしていまや3シリーズには、立派な後輩がいます。1シリーズと2シリーズで、そのデザイン、走行性能、コンパクトさ、やんちゃさは、かつての3シリーズを髣髴(ほうふつ)とさせます。
日本刀が、料理人が毎日使う牛刀でもアウトドアで使うサバイバルナイフでもないように、3シリーズはもう、エントリーモデルでも実用性を重視した工業製品でもありません。G20タイプ3シリーズは、特別なものしか要らない人に選ばれるクルマです。したがって今度の3シリーズに似合う人は、新しさを追求しながら伝統を軽視せず、なおかつ最強への憧れを失わないアグレッシブな人、となるでしょう。