なぜ軽トールワゴンはスズキの代名詞になったのか ニーズに応えるクルマづくり

世界中で様々な種類のクルマが販売されていますが、日本ほど軽自動車が普及している国はないと言えます。なぜなら、軽自動車という分類は日本独自のものであり、同じ規格で本格的なクルマとして普及している例は世界中を探しても日本だけなのです。海外では“セグメント”と呼ばれている方法でクルマが分類されており、日本の軽自動車はもっとも小型の車格である“Aセグメント”に含まれることが多くなっています。しかし、排気量など厳密な規定がないために比較的小型であればAセグメントに分類されることも多く、日本のように軽自動車といった厳密な区分がありません。また、自動車史を振り返ってみると日本とヨーロッパ、アメリカでは地理的要因の差異だけでなく、小型車への認識が軽自動車という規格の成立に大きく関わっていることも分かります。では、なぜ日本が軽自動車というカテゴリーを確立させることができたのでしょうか?実は軽自動車というカテゴリーを確立させた立役者がスズキであり、軽トールワゴンを得意とする一番の理由でもあるのです。

軽自動車に目をつけたスズキ

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スズキが本格的に軽自動車開発へと舵を切るまでには、第二次世界大戦後のクルマ事情が大きく関わっています。戦後直後の日本やドイツは敗戦国として戦勝国の統制下にあり、企業が自由にクルマを開発することも難しい時代でした。何より、荒廃した国土を復興することが最優先であり、十分な資源と人手を確保することさえ困難を極めていました。

そこで、当初は本格的なクルマというよりも航空機や二輪車の余剰部品や材料を利用した簡易的なクルマ、いわゆるバブルカーやサイクルカーなどと呼ばれているものが主流であり、自動車産業復興の始まりとされています。廉価で最低限の機能を搭載していることが重要視されていたため、三輪車(または、二輪車がベースの変則的な四輪車)が主流であり、BMW「イセッタ」やメッサーシュミット「KR200」などのドイツ車に人気が集中していました。

一方では、1949年に経済復興促進を目的として軽自動車の規格は定められていましたが、当時は個人の移動に使うために四輪車を購入するということが珍しい時代でもありました。そのような状況下で軽自動車に商機を見出した零細企業も多くありましたが、戦後の資源不足から安定供給ができずに倒産してしまう零細企業も多かったのです。軽自動車の普及に苦戦する中でも、純国産車である「トヨペット・クラウン」をトヨタ自動車が完成させるなど自動車産業も黎明期の中で確実に進歩していました。

その黎明期の中でも大きな転換点とも言えるのが、当時の通産省による「国民車構想」でした。経済復興の起爆剤となるべきモータリゼーション(クルマを大衆に普及させること)を加速させるためには、政府主導の下で一定の規格を満たす四輪車が必要というもので、以下の要点をすべて満たすことが条件でした。

  • 「4名が搭乗した状態で時速100 kmが出せる(ただし、定員のうち2名は、子どもでも良い)
  • 時速60 kmで走行した場合、1リッターのガソリンで30 kmは走れる
  • 月産3,000台(構造が複雑ではなく、生産しやすいこと)
  • 工場原価15万円/販売価格25万円以下
  • 排気量350 ― 500 cc
  • 走行距離が10万 km以上となっても、大きな修理を必要としないこと
  • 1958年(昭和33年)秋には生産開始ができること

この条件を見てすべての自動車メーカーが困難と考えていましたが、スズキは自社初の四輪車である「スズライト」を完成させることができました。

スズライトから軽自動車の旗手へ

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この「スズライト」は、4人乗りが可能な四輪軽自動車としては初のモデルであり、スズキ独自の軽自動車路線の始祖とも言える存在です。当時は二輪免許を取得していれば軽自動車の運転が可能であったため、普通自動車免許の講習を受ける時間がなかった開業医の往診車としても人気が高いなど、軽自動車のメリットを活かした販売戦略をとることで普及が進んでいきました。そして、1959年から9年間にわたって販売された2代目モデルを最後としてスズライトは歴史の表舞台から引退することになりましたが、1970年代から現在のスズキへとつながる名車が多く誕生しました。

1970年に販売された初代ジムニーを皮切りに、1979年にはスズキアルトが誕生し2代目モデルではアルトワークスもラインナップに加わることになります。以降も、軽スポーツカーとしてカプチーノを販売したかと思うと、軽トールワゴンの先駆けとなるワゴンRを売り出すなど軽自動車という枠にとらわれない斬新なモデルを数多く発表しています。とくに、スズキの代名詞とも言えるワゴンRは現在でも主力の人気商品であり、軽自動車市場を今日までけん引してきた立役者ともいえます。

軽トールワゴンを確立したスズキ

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ワゴンR登場以前の軽自動車は“軽ボンバン”と言われる軽ボンネットバンタイプのモデルが主流であり、この軽ボンバンに続くヒット作を各メーカーが長い期間にわたって模索している状況が続いていました。

そんな中で新たな軽自動車を検討していたスズキは、致命的な弱点である居住空間性能に目をつけました。価格や維持費でアドバンテージがあった軽自動車も、室内の狭さやデザイン性の高さではセダンクラスと比べても劣っているという印象が一般的だった中、背を高く取ることで居住空間を確保し、男性受けのするデザインを追求して生まれたのがワゴンRでした。とくに、室内空間を広げるために背を高くするだけでなく座面も高く取ることで視認性が増し、足元の空間確保にも成功した初めてのモデルでした。

当初は若い男性層を狙ったものでしたが、利便性の高さから老若男女問わずにヒットするなど“軽トールワゴン”というジャンルを世間に知らしめた革新的なものになりました。もちろん他社も新規市場を開拓するべく、ダイハツ「ムーヴ」やホンダ「Nシリーズ」、三菱「ekワゴン」などを投入しています。これにスズキは「スペーシア」や「ハスラー」などを投入するなど、さらなる軽自動車市場のガラパゴス化を促進し多くのファンを獲得することに成功しています。

“軽トールワゴン”はスズキの代名詞

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現在の軽自動車市場では多くのモデルが販売されている中、スズキは他社との差別化を図るために「スペーシア ギア」や「ハスラー」といった“軽トールワゴンSUV“という独自の路線を開拓するなど、今なお軽トールワゴン市場をけん引し続けています。

ここまでスズキが軽トールワゴンを得意とするのにはいくつかの理由が存在します。とくに、軽トールワゴンの設計・開発に関しては前述した「スズライト」のときから続けているエンジンの横置き配置という技術的遺産、ピックアップやデリバリーバンといった設計技術が軽トールワゴンにも応用されていることも大きく作用していました。また、創業当時からの企業風土も大きく関わっており、「人と同じことはやらない。やるなら世界一を目指すのがスズキ」という言葉によって軽自動車というカテゴリーで多くの挑戦を続けてこられたという環境が軽トールワゴン誕生にも寄与していると言えます。

そんなスズキは2020年に創立100周年を迎え、世界中の自動車メーカーの中でも歴史のある企業として歩みを進めていくことになります。この100年の間に多くの業績を残してきており、これから先の未来においても革新的なクルマを開発していくスズキ。そしてきっと、その未来には今日まで発展してきた軽トールワゴンが、私たちの思いもしないような形で親しまれていることでしょう。

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